馬鹿の定義

『馬鹿』ばか

辞書には知能の働きが鈍い事、利口でない事、また、そう言う人、と定義されています。

 

利口でない事、とありますが利口を辞書で調べると頭が良い事、要領が良い事、抜け目ない事、などと出て来ます。馬鹿の対義語は利口と言う事になっているようです。

 

勿論、言葉の意味として説明が必要ならばその通りなのでしょう。しかし実際にはその様な人達を馬鹿とはあまり呼びませんよね?利口でない人を利用する人達はカモという意味を込めて馬鹿と言うでしょうが。

 

皆さんは自分なりの馬鹿の定義をお持ちですか?

馬鹿の定義を持っていない人がとても多いように思います。人を馬鹿にしてはいけない、という思いが馬鹿について考えなくさせているのでしょうか。

馬鹿の定義を持っていないけれど、人を馬鹿にしてはならない、というのは道理が通っていないと思いませんか?

 

私が馬鹿の定義について考える事になった切っ掛けは『馬鹿のバカなりの幸せと、賢い人の幸せって同じ?』という疑問でした。子供の頃、いつも優しい人と不良の子が稀に見せた優しさが同じ?みたいな不満からくる愚痴8割の疑問のようなものです。

その時は『そんな不満8割の考え事をしている時点で私は馬鹿なのだから、バカなりの幸せしか手に入らない』という結論で終えたのですが、なら馬鹿って?と。バカ脱却の為に馬鹿の定義を模索したワケです。

 

私なりの馬鹿の定義は見つかりましたが、それはさて置きまして、自分なりの馬鹿の定義を持つ事はオススメ致します。人それぞれの馬鹿の定義があると思う事で、人に馬鹿にされる事が怖くなくなりますし、馬鹿にされたとしても自分の思う馬鹿でなければ痛くも痒くもありません。自分が馬鹿な事をしている時にはいち早く気がつく事も出来ます。

 

馬鹿の定義を持っていない人達はなにを馬鹿として人を馬鹿にしているのだろうと観察していると、どうやら自分にとって不都合な人達の事を馬鹿としているようです。自分にとって好都合な馬鹿は悟られてはならないので馬鹿にしないですもんね。