20歳過ぎればただの人

十で神童十五で才児二十歳過ぎれば只の人
とうでしんどうじゅうごでさいじはたちすぎればただのひと

日本のことわざです。
主に親バカな様子を嗜める時に使われる様です。もしくは天狗になっている少年を嗜めたりなど。
『いくら天才ともてはやされていても、20歳すぎた頃には何の役にも立たないよ?』
の様な解釈が一般的なのかと思います。

私の解釈は少し違います。個人の勝手な解釈ですが。
海外では『天才が秀才を殺し、凡人が天才を殺す』と言った意味のことわざがあるようです。もしくは『多数決というナイフにより天才が殺される』などと和訳されているそうです。
こちらの方が私にはピンと来るのです。
十歳の少年は紛れも無く天才だった。しかし少年の社会の中では異端児扱いを受ける。多数決では自分の主張は通らない。連帯責任という言葉で罪の無い者が罪を受ける。
そんな社会で天才であり続ける事に意味を見出せなかった少年が、周囲と足並みを揃えた方が賢いと判断し凡人と成り下がって行く。
そんな日本の風潮を皮肉を込めて出来たことわざ、だとしたら悲しすぎますか?

多様性が求められてきている現在です。いつか私の様な解釈が払拭される日もそう遠くは無いかもしれません。